レーシックを決断するまで
私の近視歴
小学生まで
私は小学校3年生ぐらいから学校の視力検査で近視が引っかかるようになりました。
当時は生活には支障がないぐらいだったものの、黒板の字が後ろの席だと見づらいようになりました。
(今考えればそれぐらい視力あれば全然いいんですけどねw)
そして月日は流れ、小学6年にはメガネなしでは日常生活を満足に送れなくなっていました。
2年に一度はメガネを作り直していましたので、毎年近視が進んでいきました。
中学生からのコンタクト生活
中学生になると、見た目が気になるようになり、メガネをするのが嫌になってきました。
なので、親に頼みこんでコンタクトデビューが始まります。
2週間のアキュビューをつけた時の感動を今も忘れません。
コンタクトをつけてみる世界は、メガネで見る世界とまったく違う世界でした。
その頃は確かコンタクトが+3ぐらいだったと思います。
毎年の近視進行は止まりません。
コンタクト生活10年目に突入
14か15の時のコンタクトデビューでしたので、もうそろそろ10数年のコンタクト生活。自分でコンタクトを買うようになってからは、節約のために1日用コンタクトを1週間から2週間つけました。
アキュビューオアシスは本当に薄いので、お気に入りでずっと使っていました。
視力はというとコンタクトだと+5になりました。自称ど近眼です。
メガネもとても分厚いので、顔にかけると横が切れてしまうというあの厚さです。
当然顔にかけると目がかなり小さくなってしまいます。
J!NSの薄型なのにです。。。
そんなこんなで、毎日、毎日のコンタクト生活に限界を感じ始めたのが27歳の今です。
そしてレーシックを考え始めるのです・・・
なぜ今レーシックを決断したのか
①コンタクトによる慢性的なドライアイ
週5日パソコン仕事をして、土日もなんだかんだ出かけたりして週7日コンタクトを装着する日々。
朝7時〜夜18時までほぼ12時間つけっぱなしが普通の日常。
1DAYを2week使ってたのが悪いのか、わかりませんが、やはり乾く。
映画を見に行った時に映画の冒頭で既にコンタクトが乾いていて、上映中はわざとあくびをしてがんばって涙を出す。
飲み会に行く前にはずさなければ限界なので、食事中は人の顔が見えない。
家に帰ってきて外すものの、目が充血していて痛い。乾いていて疲れている。
10年間コンタクトをしていたので、とにかく慢性的にドライアイになってしまったのです。
②新たなライフステージへ
新卒でずっとやっていた仕事に一区切りがついたので、前から夢であった世界一周をしようと決意しました。
それは実は前々から考えていた計画で、やっとお金もたまったし、仕事も責任もってやり遂げたので、今年の3月が退職のタイミングでした。
世界一周したあとは、ワーキングホリデーをしたり留学をしようかな?なんて漠然と考えています。パートナーの国に移住して働くことも可能性に入れています。となると、しばらく日本に帰ってこないことになります。
コンタクトレンズのリスク
コンタクトレンズは視界を与えてくれますが、リスクが多いことに気がつきました。
- ドライアイになり目を痛める←かなりのデメリット
- 費用がかかる
- レンズケアの手間
- レンズの予備とケア用品を持ち運ぶ必要性←最大のデメリット
これから住居を持たずに旅行していく生活になるので、4番はかなりのデメリットになります。正直言って、あのかさばる物をバックパックに入れるなんて絶対嫌です。(生理用品だって日本製のもの持ってこうと思ってるのにそんなスペースない!)
③とにかく煩わしいからもう嫌!
コンタクトとメガネをしている視力が0.0なんとかの人なら皆わかると思いますが、本当に近視って煩わしくて嫌になりますよね。メガネは重いし、汚れて見づらいし、とにかく顔の上にかけるのがもう邪魔すぎる。コンタクトも乾くし痛いしめんどくさいしもう無理。こんな生活をあと一生するなんて考えただけでもう人生しんどいからいいや・・・てなってしまう。。。!
ということで、レーシックをすることにしたのです。